小さい自分ができる事。。
ちょっと長くなりますが。。。
きっかけはハイチの地震。。
ニュースで日々見ているのにたいへんだね。。
くらいの事しか言えない意見も行動もない
「事なかれ主義の自分」に漠然と疑問を感じた事を今日は日記に書きます。
私は9.11のWTCテロの時にマンハッタンにいました。
5Kmも離れていなかったと思います。。
白い粉が街を舞っていました。
朝食をホテルの近所のカフェで食べていた時に
一台のパトカーがすごいサイレンを鳴らして下の方に降りていきました。
数分経つとものすごい数のサイレンが下に向かって
何台も、何台もすごいスピードで。。
よく分からず街が異様な空気でニュースも何が起こったのか理解できない。。
街角で泣いている人がたくさんいました。。
座り込んでいる人も。。
空を見上げて祈っている人も。。
ホテルの部屋にもどりTVをつけたらWTCから黒い煙が立ち上っていました。
正しい内容はわからず、
現実に穴のあいた煙が出ているビルだけを映し続けていました。
携帯がつながらない。。これはおかしい。。
その上、私のNY携帯は当時プリペイド式で
通話時間が少なくなっていたので、これは何かこまる前に。。と
急いで一人、一番近くの電気屋さんへ。。
TVがたくさん置いてある街の小さな電気屋さんに入ると
たくさんの人がTVを悲壮な顔をして見ていました。
その時でした、TVに映っていたビルが崩れだしたのは。。
電気屋さんの中はすごい悲鳴と鳴き声。。
アジア人は私一人で「これは今なのか?!今なのか?」と
何度も周りに居た人に聞いて、ヒザがガクガクして立ってられなかった。
急いでホテルにもどらなきゃ。。と震える足をガタガタさせながら
外に飛び出た私は自分のいた道の下の方から白い煙が
上がっているのが肉眼ではっきりとはっきりと見えた。。
なんてこと。。。
足の先から身体の芯を伝って震えてガタガタと震えた事を
鮮明に憶えています。
彼氏の事と仕事の事、NYで何買おうかな。。とかしか考えてない自分が
厳戒態勢の街に変貌したマンハッタンにいて。。。
目の前に戦車が並んでいて。。
完全に混乱していて思考能力も止まってしまって。。
まだテロが続くとかマンハッタンから出られないとか
様々な情報もあり、スーパーやデリに水ととりあえずの食べ物を
買いにいったらガラガラの棚で。。
これから食べられるのだろうか。。水が飲めるのだろうか。。
という不安で急激に恐くなりました。
その夜はホテルの部屋の窓をあけたままにして
街の異変に気づけるようにして
もし避難が始まったらすぐに動けるように。。と。
枕元に下着と貴重品だけ詰めたハンドバックを置いて
眠れない夜を過ごした。。
深夜に窓から外を見ているとマンハッタンの1丁目分くらいある
見た事もない長いミサイルのようなモノや
巨大な巨大な見た事もなり球体が軍の特殊な乗り物に
乗せられて運ばれていった。。
あまりに現実ばなれしている自分の状況を受け止める事も
できずに数日を過ごしました。
自分は怪我もなかったし事件にも巻き込まれなかった。。
友人が亡くなられた訳でもない。。
私はただNYに予定より10日間ほど足止めを食らった程度。。
今でも自分がそこにいた事をちゃんと理解できてないと思います。。
ただその土地に居て肉眼でそれを見たよその国の人。
アメリカとアラブとの関係を語れる程の知識も意見もない。。
偽善者にもなりたくなく、言葉に出す事をなんとなく避けていた。
見解もない自分が話すにもおこがましい感じがして。。
なぜ、9月でもないのにこの事を書いたか。。
ハイチで大地震があってあまりにもたくさんの方が亡くなられて
あまりにもたくさんの混乱があって。。
もちろんテロと自然災害は違います。
でも混乱して物資と医師が不足している現実は同じ。。
きっと治安の悪さ、食べ物がない状態。。
あの時よりもっともっとたくさんで大変な状況。。
その映像を見ていたら水だけでも届けたい。。
当たり前のものが手にできなくて暴動になってしまっている一般市民。。
生きるための行動。。きっと家族を守りたいだけ。。
その気持ちが狂気に向かってる。。
じゃぁ、小さい存在の自分でもできる事を考えよう。。
東京にいて自分ができる事を。。
お外でランチをする機会を
月に一回だけ減らしてその分を国境なき医師団に
毎月少しですが、寄付をさせて頂く事にしました。
これで自分の過去に対しての何か理解や消化する事はないですが、
何か小さくても細切れでも一ミリでも届けば。。
ハイチだけじゃなくこの日本で起こっている事にも
何か一ミリ以下でも手助けができるのでは。。
まぁ、なんでもいい!!!!とりあえず、動け!!!
そんな思いから「漠然を行動」に移してみました。
水一本でも薬一錠でも届けば。。
それだけ!